加納典明(82)が初めて本格的なヌード撮影に挑んだのは、雑誌『平凡パンチ』のグラビアだった。1967年にカメラ雑誌『アサヒカメラ』で発表した作品に目をつけた編集者に口説かれたのがきっかけだったという。
「社会に害毒を流す雑誌だろう、そんなのやれるか、と断わっていたんだけどね(笑)。熱心に誘われるから、2~3回くらいなら付き合ってやるか、と」(加納、以下同)
最初のヌード撮影は女優・渥美マリ。渥美も、担当編集者・石川次郎も、ヌードは初めてだった。
「そんなことは全員、おくびにも出さない。渥美も次郎も、堂々としていたよ。プロだから」
初ヌードが好評を博し、同誌グラビア撮影のレギュラーとなった。1969年には、同誌の撮影でニューヨークに初渡航。前衛芸術家・草間彌生のパフォーマンスを収めた。
「スタジオに行ったら、乱交パーティーなんだよ。俺はそんなもの撮ったことねぇし、なんだこりゃ、っていう感じで(笑)。衒いもなくセックスを繰り広げる狂宴。やるっきゃねぇと撮りまくったよ」
このドキュメント写真の個展「FUCK」で、加納は時の人となった。
山口百恵の撮影では目から汗が出た
「俺の仕事は、他のカメラマンが撮った写真と同じじゃしょうがない。斉藤慶子の時は、キャンペーンガールとして笑顔が世間に行き渡っていたから、違うものを撮りたかった。被写体の何かを探すんだよ。言葉にできない気配とか実存感。被写体の自意識を超えたものを撮りたいと思い続けてきた」
数多くの女優・タレントを撮影してきた加納が、忘れられない被写体の一人として名を挙げるのが、山口百恵だ。
「口を少し開いた何でもない表情に底知れないものがあったね。ファインダーを覗いていて、目から汗が出たのは彼女だけ。百恵の気配は言葉にならないよ。黙っていても興奮させる何かが出ていた」
中村久美にも名状しがたい魅力を感じたという。
「とにかく品が良かった。思わず口説いたことを覚えているな(笑)。後から友人の俳優・小林薫と結婚していたことを知った時には驚いたね。薫にはもったいないって(笑)」
2017年のLiLiCoの写真集『絶夜』は、無名時代の写真集『前夜』から22年ぶりということで話題を呼んだ。
「1作目の時、彼女はそこはかとなく淋しげで、世間を怖がっているような印象さえあった。ところが、22年ぶりに再会すると、自信を持った顔つきに変わっていた。感慨深かったね」
今、撮りたいと思うのは黒木華、有村架純、ホラン千秋だという。
「前者の二人は間合いに漂う空気を撮りたいね。ホランさんには普段とは違う面を引き出してみたいと気持ちを刺激される」
記録的な売上から一転逮捕に至ったヌード雑誌
1991年、樋口可南子のヘアヌードを皮切りに、世間は“ヘア解禁”に沸き立った。女優やアイドルまでもがヘアをさらけ出す中、1993年4月に『月刊 ザ・テンメイ』が創刊された。撮影者は加納一人という前代未聞の雑誌だ。
「当初こそ中島宏海や白都真理など名のある女優をモデルにしたけど、そのうち素人でも何でも連れてこい! となった(笑)。胸や尻の大きさなんて関係ない。エロスの表現は脱いでみないと分からない部分もある。オレの一言で顔をしかめる女もいれば、濡れる女もいる。その非日常的な瞬間が写真に投影されるんだ」
創刊号で〈時代とケンカして、ドブに捨てられる運命の100万部雑誌を目ざす〉と宣言し、毎号70万~80万部の大ヒット。出版社は「札束を刷っているようなもの」とほくそ笑んだという。
〈こんなに売れるなんて、世の中まちがっている〉。そんな挑発的なコピーも表紙に躍ったが、1995年2月、加納はわいせつ図画販売の容疑で逮捕される。
「ヘアヌードのトップランナーだったから、お上も代表選手を引っ張っておこうと思ったんだろうな。10日程の勾留中、同じ部屋にいたオレのファンが肩を揉んでくれてね。『ところであんた、何やったんだ?』と聞くと『ちょっと1人殺しまして』と。楽しかったとは言わないけど、知らない世界を垣間見ることができて、貴重な体験だったな」
御年82歳。時代を騒がせたい気持ちは健在だ。肉体的にも精神的にも男を勃起させるような作品。それが加納の信条だ。
【プロフィール】
加納典明(かのう・てんめい)/1942年生まれ、愛知県出身。1969年に個展「FUCK」で注目を集める。1993年『月刊 ザ・テンメイ』を創刊。過激なヌード撮影に挑み続けている
取材・文/小野雅彦
※週刊ポスト2024年8月30日・9月6日号